安全保障理事会の機能 4

「手続き事項」とは、例えば、どういう問題を討議するか、討議することになった事項をどういう順番で進めるか、討議することを延期するとか、扱うのは実益がないからやめるとか・・・


いろいろないわば事務的な、手続き的な問題が入っています。


ただ、この手続き事項のなかには、安保理が機能できなくなった場合に、総会を緊急に開いて問題を総会で扱うことを可能にするいわゆる緊急総会の招集の決定も、紆余曲折を経た上で、含まれることになりました。


安保理が機能できないのは、大国間の対立があるからであることが多いわけで、そのために問題を総会に移す必要が起きるわけです。


ここでもしまた、大国の拒否権を認めてしまうと、緊急総会そのものが開けない。


それでは困るということで手続き事項にしたということです。


「(手続き事項以外の)その他のすべての事項」については常任理事国を含む9力国の賛成が必要であるとあります(同条3項)。


・・・これは通常、手続き事項に対して実質事項といっています。


こういう問題についてはいわゆる拒否権の適用があるということです。

安全保障理事会の機能 3

非常任理事国は、当初、国連憲章ができたときは6力国でした。


中南米2、中東1、東欧1、西欧1、英連邦1というかたちで地域的にふり分けてありました。


・・・ところが、60年代以後、アフリカ諸国の大挙加盟ということをうけて、従来の地域割では不合理になりました。


そして、国連憲章の改正が行われて、今のように非常任理事国が10力国になったのです。


その結果、現在の非常任理事国はアジア・アフリカが5、東欧が1、中南米が2、西欧その他2という地域割になっています。


今後問題になる可能性があるのは、東欧というカテゴリーをどうするかということだと思います。


安保理の投票に関しては、拒否権と棄権の問題があります。


投票については、手続き事項に関する安保理の決定は、9理事国の賛成投票(第27条2項)で決まることになっています。


・・・ここでは大国の拒否権が認められないということです。


安全保障理事会の機能 2

常任理事国とは、常に安保理の理事国となることが憲章で定められている国家を指します。


アメリカ、ソ連、フランス、イギリス、中国の5つの常任理事国があります。


この常任理事国に関しては、日本との関係で、常任理事国の拡大問題に触れておく必要があります。


とくに日本では、大国・日本が常任理事国になることの可能性がよく議論の対象になります。


この問題については、国際社会、国連では2つの視点が提起されます。


一つは、国連の目的にとって、いまの5大国のほかに、常任理事国をさらに増やす積極的な利益があるのかということです。


もう一つの問題は、いまの5大国のほかにさらに拒否権を行使する国をつくることに意味があるのかという問題です。


そしてその双方の問題に対して「否」というのが、大国、中小国のいずれをとっても多数の意見です。


また、もっと実際的な問題として、もし日本が常任理事国になるなら、ドイツもということになるでしょう。


そうなれば、他の国はどうだということにならざるを得ないのです。

安全保障理事会の機能

わたしが興味深いことは、安保理の会合の各年別の頻度を見てみますと、米ソ関係の冷却度とかなり相関している傾向があるということです。


・・・つまり、米ソ関係がゆるむと安全保障理事会の開催頻度が増える。


そして、いわゆる冷戦・対立が激しくなると会合が少なくなるという傾向があります。


例えば、1946年から48年などは、冷戦が本格化する前の段階ですが、88~171回と開かれています。


ところが、冷戦が本格化する1949年から急激に減って62回となる。


59年にいたっては、年に5回しか開かれないという年もあります。


ところが、キューバ危機を乗り越えて米ソ関係が改善しかけた1964年には一時的に104回にまで増えます。


いわゆる第一次デタント時期の1976年も例外的に112回と増えている。


そして1986年、つまり米ソの第二次デタントがはじまってからまた増える傾向にあって、91回となってきます。


ここからも、安全保障理事会の機能、開催が大国関係の動向によって影響を受けるということがはっきりと浮かび上がってきます。

ウォーターゲート事件とマスコミ 3

ニクソンが正式に辞任したのは8月9日でした。


この年のピューリッツァー賞には、公共報道部門で『ワシントン・ポスト』紙がみごと栄冠をかち得ています。


・・・しかし、個人賞にはならなかったので、終始この報道に専心してきたウッドワードとバーンスタインは大いに不満でした。


2人はこの事件を主題にして、2冊の本を書いています。


その1冊は『大統領の陰謀』で、ベストセラーになったばかりか、映画にまでされました。


ウォーターゲート事件は国民には大きな衝撃を与えましたが、それでもアメリカのデモクラシーが辛うじて守り抜かれたのは、国民の2人への支持があったからこそです。


その陰にウッドワードやバーンスタインに代表されるようなアメリカのマスコミの一致した力があって、世論を正しく導いたことは、大いに評価されねばなりません。


ウォーターゲート事件とマスコミ 2

ウォーターゲートの本筋とは離れますが、最悪の大統領には最低の副大統領がよくぞ揃ったもので、この秋にアグニューは、脱税と収賄でその職を棒に振ってしまいました。


このことはアメリカにとってまったく幸運でした。


もしアグニューが悪運を続けて居残っていたら、ニクソンのあとは彼が大統領になっていたはずだったからです。


ニクソンの立場はこうして日一日と苦しくなっていきましたが、最終的に彼を追い詰めたのは、皮肉なことに彼自身がホワイトハウスでの会議や電話の盗聴のため秘密に仕掛けた録音テープでした。


そのテープの提出を求めたウォーターゲート特別補佐官をクビにし、そのため司法長官まで辞任してしまいました。


・・・これが10月20日のことで、"土曜の夜の大虐殺"として知られるようになりました。


他方、同じころ議会では大統領弾劾要求の決議が行われました。


ニクソンは執拗にテープの提出を引き延ばしたが、これが公開されたのは翌1974年6月でした。


こうしてニクソンは歴史上、任期途中で犯罪のために辞任する、はじめての大統領になるという汚名を受けざるを得なくなったのです。

ウォーターゲート事件とマスコミ

ディーンはウォーターゲート事件のもみ消し工作に当たった中心人物ですが、自分一人で罪をかぶるのはごめんだと考えていました。


折から彼に近づいてきた『タイム』に、ニクソンが最初からもみ消し工作に関係したことをすっぱ抜いたのです。


5月になると議会の公聴会が開かれ、ウォーターゲート事件はアメリカ最大のニュースになってきました。


三大テレビが毎日公聴会の最初から最後まで放映するようになったからです。


おかげで昼間のメロドラマが見られなくなった主婦たちまで、公聴会に関心を持ちはじめます。


ハルバースタムは


「この公聴会が終わったとき、政治の流れが変わっていた。


ウォーターゲート事件は全国民の関心事となり、ホワイトハウスは完全に指導力を失い、指揮をとる人物もいなくなってしまった」


・・・と書いています。


このことは世論調査にもはっきり現れました。


公聴会の直前ではニクソンの支持率は69%でしたが、7月に入ると40%にまで低下してしまいました。

自由主義と社会主義のつまずき 10

かなりの程度を、企業や中間組織が決められるようにしていくというやり方です。


自由化というのが一番わかりやすいでしょう。


これをかつて中国は「ソ連修正主義」と非難したのです。


その中国も1976年、いわゆる「4人組」の時代が終わると、分権化の道を歩むようになります。


その年の9月に毛沢東が死ぬと、10月には、それまで権力を振るっていた夫人の江青以下4人が捕らえられ裁判にかけられ、後には死刑の判決も下されました。


文化大革命の時代が終わったのです。


・・・こうして自由化が始まるのですが、それが本格的になったのは79年からでした。


中国でも「自由化」とはいわず、「近代化」といいます。


中国語では正確には「現代化」といわれますが、この新しい方向をはっきり打ち出したのは、1978年の末に出された、いわゆる「八字方針」です。


有名な「4つの現代化」は周恩来が言い始めたものですが、この「八字方針」は都小平が提唱したものです。


一に調整、二に改革、三に整頓、四に向上の八字です。


この4つのスローガンで重要なのは調整と改革です。


調整は経済全体の均衡にかかわるものです。

自由主義と社会主義のつまずき 9

その企業が、なにを・どれだけ・どのようにして造るか、なにを・どれだけ・どのようにして売るかは、中央の計画に従ってやるのではなく、企業独自で決めていくのです。


それを決める基準は市場の動きであり、この点では自由市場経済の場合と同じです。


このような体制は今日、市場社会主義といわれています。


これはハミルトン ベンチュラなどのブランド品に対しても同様です。


ユーゴは、共産圏の国ではありますが、そういう自由な国でもあるのです。


共産圏の「近代化」という名の自由化ユーゴスラビアのこのような歩みを、ソ連は当初「ユーゴ修正主義」「チトー修正主義」と口汚く非難しました。


しかし、その後十年余りすると、今度はソ連が中国に「ソ連修正主義」と決めつけられ、非難されるようになります。


1960年から61年のことです。


それは、この頃から、ソ連で自由化の動きが始まったことによるものです。


もっとも、共産圏では「自由化」とはいわないで、「近代化」とか「効率化」とかいわれます。


しかし、その内容は結局、分権化であり、利潤や利子や自由競争など市場経済の諸要素を取り入れることです。


企業や、地域とか分野の中間組織に自由裁量の余地を広げていきます。


中央でなにもかも決めていたものを、決める指標を少なくしていきます。


自由主義と社会主義のつまずき 8

ユーゴスラビアがスターリン体制に背を向けて独自の道を歩み、いわゆる自由化を進めてきた最も大きな理由の一つはここにあったのです。


今日のユーゴの経済全体の統御方法は、日本とほとんど変わりはありません。


マルクス・レーニン主義であるけれども、経済は市場経済、つまり自由競争の経済です。


ここではハミルトン ジャズマスターなどのブランド時計も自由に売買できます。


むろん計画は立てるでしょうが、日本の政府の計画とよく似て、強制的な命令計画ではありません。


見通しを立てて誘導するだけの指示計画です。


ただ、やはり社会主義国ですから、日本とは企業のやり方が異なります。


つまり5人未満の企業は私有が認められていますが、5人以上になると共有です。


共有ではありますが、ソ連のように国有ではありません。


コンミューン所有です。


公有といっていいでしょう。


企業の運営は労働者の自主管理、そこで働く労働者が経営委員を選んで、これが自ら経営をする・・・。


ですから、企業の所有とか管理方式は日本とは異なるのです。